@article{oai:kyotogakuen.repo.nii.ac.jp:00000911, author = {大野, 彰 and Ohno, Akira}, issue = {2}, month = {2010-03-01, 2018-05-28}, note = {1860 年代後半から1870 年代にかけて生じた日本の生糸輸出不振を打開するために必要であったのは逆選択の解消であった。横浜の売込問屋が製糸結社に荷為替信用を供与したのは、彼らが出荷した生糸は逆選択に遭う恐れがなかったからである。19 世紀のアメリカ絹工業は主に先染め絹織物を生産していたので、撚糸に加工しやすい生糸を必要としていた。撚糸に加工しやすい綛に生糸を整理する揚返技術が勧業寮の円中文助によって開発されたために、日本産生糸のアメリカ向け輸出が伸びた。19 世紀末頃からアメリカでは後染め絹織物が流行するようになったので、抱合佳良で強伸力に富む生糸が求められるようになった。1900 年代前半に行われた繰糸鍋の改造と1900 年代後半から始まった煮繭法の改良によって日本産生糸は抱合佳良で強伸力に富むようになり、1910 年代にはアメリカ市場からイタリア産生糸を振るい落とした。, 1, KJ00006343459, Article}, pages = {1--55}, title = {アメリカ市場で日本産生糸が躍進した理由について}, volume = {19}, year = {}, yomi = {オオノ, アキラ} }