@article{oai:kyotogakuen.repo.nii.ac.jp:00000897, author = {大野, 彰 and Ohno, Akira}, issue = {1}, month = {2008-09-01, 2018-05-27}, note = {1859年の横浜開港によって生糸輸出が始まってから生糸品質を機械的に検査する機器が実用化の域に達した1920年代に至るまでの数十年間にわたって、日本産生糸の流通業者と最終消費者(絹製品製造業者)の間には情報の非対称性が存在していた。情報優位者の立場にあった生糸流通業者が品質の劣った日本産生糸を高品質の生糸と偽って売るようになったために、欧米の消費地(特にアメリカ市場)では、日本産生糸は十把一絡げに欠点が潜んでいるかもしれない生糸という扱いを受け、逆選択の対象となった。品質はさほど高くはないが安価な信州上一番格生糸の生産と消費が伸びたのは、アメリカ市場で日本産生糸について逆選択が生じていたからである。 生糸の流通業者に指定した格付よりも低い品質の生糸を売り付けられることに怒ったアメリカの生糸消費者(絹製品製造業者)は、イタリア産生糸のように生糸の綛の中に原商標を記した小箋を入れることを1923年に日本側が要求したが、実現しなかった。しかし、生糸品質を機械的に検査する機器が1920年代に実用化の域に達すると、生糸流通業者と生糸消費者の間に存した情報の非対称性は解消され、日本産生糸は逆選択を免れるようになった。日本産生糸の取引に付きまとっていた不透明性は除去され、日本の生糸生産者が貼付した原商標は1930年頃にはアメリカ市場でようやく確立するに至った。しかし1920年代にレーヨンが生糸需要を侵食し、1929年には世界恐慌が勃発したために、原商標の確立によって日本の生糸生産者が得たプレミアム(割増金)の額は圧縮せざるを得なかった。, 1, KJ00005985259, 論文, Article}, pages = {1--23}, title = {生糸品質の機械的検査法及び生糸検査制度の確立による逆選択の解消について}, volume = {18}, year = {}, yomi = {オオノ, アキラ} }