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King Learにおける狂気の<謎>
https://kyotogakuen.repo.nii.ac.jp/records/883
https://kyotogakuen.repo.nii.ac.jp/records/8832efaa2d9-5f7b-455f-ad46-b787e349a674
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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Item type | [ELS]紀要論文 / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||
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公開日 | 2016-08-09 | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | King Learにおける狂気の<謎> | |||||
タイトル | ||||||
タイトル | The Mistery of the Maddness in King Lear | |||||
言語 | en | |||||
言語 | ||||||
言語 | jpn | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | リアの「狂気」 | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | フーコー | |||||
キーワード | ||||||
主題Scheme | Other | |||||
主題 | 'O' | |||||
資源タイプ | ||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||
雑誌書誌ID | ||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||
収録物識別子 | AN10373395 | |||||
論文名よみ | ||||||
タイトル | King Lear ニオケル キョウキ ノ ナゾ | |||||
著者 |
吉村, 征洋
× 吉村, 征洋× Yoshimura, Masahiro |
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著者所属(日) | ||||||
京都学園大学非常勤講師 | ||||||
記事種別(日) | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 論文 | |||||
記事種別(英) | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | Article | |||||
抄録(日) | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | Learの狂気とは一体、何であろうか。プラトンにおいては、狂気とは神がかりのような状態であり、神が人間の意識を訪れた<しるし>と考えられていた。人間には、理性で認識できないものを認識するための眼が植えつけられていて、理性を失った狂人においては、その眼の働きが純粋になるのである。狂気のこの特権的な位置は、ルネサンス時代まで維持されており、狂気は人間の中にあるすべての悪を支配する宇宙的なビジョンをもつ形象だと考えられていたのである。一方で、フロイト、ラカンなどの精神分析的、またバーバーのように哲学的に狂気を解釈している事実も見逃してはならない。さらにフーコーによれば、17世紀の狂気に対する考え方は、合理的意識の高まりにより、狂気が批判的に分析され、道徳性と人間性という基準に照らして、狂気と人間が分析される。この意識は、狂気の悲劇的で宇宙的な経験を覆い隠す。狂気はルネサンス期に考えられていたものでなく、精神の病として考えられたのである。本稿では、これらの狂気の多様性を分析し、道化がLearに向かって、'thou art an 0'と言った意味を解釈し、Learの狂気の謎の一考察を提唱する。 | |||||
書誌情報 | 巻 16, 号 1, p. 93-102, 発行日 2006-10-01 | |||||
表示順 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | 5 | |||||
アクセション番号 | ||||||
内容記述タイプ | Other | |||||
内容記述 | KJ00004993540 |