@article{oai:kyotogakuen.repo.nii.ac.jp:00000880, author = {大野, 彰 and Ohno, Akira}, issue = {1}, month = {2006-10-01, 2018-05-18}, note = {乾燥した風土に助けられて繭がよく乾燥したイタリアでは、生糸の品質は安定していた。しかも、格付ないし商標を信頼することもできたから、イタリア産生糸の買い手は事前にその品質を予測することができた。従って、イタリア産生糸の買い手は、品質に見合った価格を支払ったのである。これに対して湿度の高い日本では繭の乾燥の程度を揃えることが難しかったから、生糸の品質はなかなか安定しなかった。しかも、特に信州の製糸業者は、生糸価格が上昇する局面では意図的に品質を低下させることによって利益の拡大をはかったから、日本製生糸に貼付された商標を信頼することはできなかった。品質を予測できない状況では、買い手は高価な日本産生糸(飛切優等格生糸や優等格生糸)の購入を差し控えるようになるから、飛切優等格生糸ないし優等格生糸と信州上一番格生糸の間の価格差が小さくなるとともに、日本産生糸全体の価格も低い目に付くようになった。その結果、飛切優等格生糸や優等格生糸は市場から排除され、市場には信州上一番格生糸ばかりが出回るようになった(逆選択)。しかも、1899年に信州の製糸業者が極端な粗製濫造に走ったため信州上一番格生糸に対する信認が極度に低下したから、アメリカの生糸商は産地を偽装して信州糸を関西糸と偽って販売するようになった。1904年には「米国に信州糸一縷も無し」といわれるほど徹底した産地の偽装が行われていた。その結果、信州上一番格のブランドで販売される生糸の価格は一層低下した。しかし、こうした状況もアメリカ絹工業にとっては、好都合な面があった。アメリカ絹工業は、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国の絹織物を模倣した安価なコピー商品を生産しており、安価な原料を必要としていた。安価な信州上一番格生糸は、このアメリカ絹工業の要求に応えるものであった。, 2, KJ00004993507, 論文, Article}, pages = {31--53}, title = {生糸品質の不確実性と逆選択による優等格生糸の排除}, volume = {16}, year = {}, yomi = {オオノ, アキラ} }