@article{oai:kyotogakuen.repo.nii.ac.jp:00001284, author = {大野, 彰}, issue = {1}, month = {2012-09}, note = {銀塊相場の下落は、銀本位国であった日本や中国の蚕糸業の価格競争力を確実に高め、日本産生糸のアメリカ向け輸出と中国産生糸のヨーロッパ向け輸出を促進した。繭価格との関連では、銀塊相場の下落には2 つの効果があった。まず、銀塊相場が下落すれば、銀本位国であった日本の繭価格は金本位国からすれば割安に見えるようになるから、日本の養蚕業の低い生産性はカバーされる。しかし、銀塊相場の下落は、金本位国から日本に輸入される商品の値上がりをもたらし、つれて生活必需品が値上がりしたから、繭の価格も1896 年に上昇した。1897 年の日本の繭価格は1 キログラム当たり約82 銭だったとの推計があるが、筆者が同じく1897 年のイタリアの平均繭価格を日本円に換算したところ、1 キログラム当たり約83 銭であったことが判明した。この計算結果は、日本蚕糸業の国際競争力の基礎が低い繭価格にあったとする通説を覆すものである。もっとも、日本蚕糸業の原料生産性(糸歩)はイタリア蚕糸業のそれよりも高かったから、日本蚕糸業にはなお価格競争力があり、1897 年にはアメリカ市場でイタリア蚕糸業を圧倒しつつあった。さらに、日本は1897 年に銀本位制から金本位制へと転換したが、これには銀塊相場の下落に伴う輸入インフレーションを遮断し生活必需品の値上がりが繭価格の上昇へと波及することを防ぐ効果があった。それゆえ、金本位制への移行は蚕糸業の利益に適うものであった。ところが、1897 年にアメリカでディングレー関税が導入され後練絹織物の生産が始まると、その原料に適していたイタリア産生糸はアメリカ市場で非価格競争力を発揮し、1898 年からシェアを回復していった。}, pages = {1--36}, title = {銀塊相場の下落が蚕糸業の国際競争に与えた影響について}, volume = {22}, year = {}, yomi = {オオノ, アキラ} }